更新日: 2010-09-16 23:42:25

日本語表記の病名を変えて、偏見をなくすのは重要か?1

著者: ebmnbm

編集者: ebmnbm

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はじめに

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今日、巷で騒がれている精神疾患の病名変更などは唾棄すべきことだ。例えば、分裂病は統合失調症、躁鬱病は気分変調、痴呆は認知症などこれらの変更例がどれほど精神医学の発展に災いをもたらすかを日本はまともに考えていない。このままでは、過去の偉大なる精神医学者たちの用語の使用もままならないほどである。例えを出せば、分裂病は分裂病質という語句と深く結び付いている。それに躁鬱病は循環病質という語句と殊に深い結びつきがある。痴呆はクレッぺリンの提唱した早発性痴呆(現代では統合失調症と呼ばれている。)と、連関している。なぜ、クレッぺリンの提唱した早発性痴呆が現代の痴呆と結びつくかといえば、それは統合失調症の症例がある一部分、認知症の事例と酷似しているからである。だが、現代では早発性痴呆という言葉のカテゴリーは範囲が広すぎて、その概念が指し示す明確な指針を持たない。したがって、現代の精神医学ではこの言葉はめったに使われない。でも、だからといってクレッぺリンの業績が汚されるわけではない。その後のクレッチマーの精微な研究によって、早発性痴呆は分裂病という名を勝ち得たのである。けれども、もっと時代をさかのぼってみると、医学の祖ヒポクラテスが述べた神聖病の記述は分裂病患者のそれと一致する部分が多い。もちろん、躁鬱病の痕跡もあるが、過去の歴史から察するに躁鬱病とは病の名を勝ち得ていなかったようである。そして、現代にいたって分裂病、躁鬱病、痴呆の月桂樹の冠は汚されようとしている。いつの世にも偏見は存在するものであり、それが一個人の人格から発生されるものでは、決してないことがどうやら日本政府には分かっていないようである。
 

STEP1

いくら、偏見をなくそうとしても、それは竜の血を浴びたジークフリートのように何度でも蘇ってくるものなのである。そもそも、偏見の基を作ったのは大衆ではないか!官僚も首相も天皇も、皆そろって大衆に過ぎない。その中に一筋の光が見えると、最初は近づくが次第に光が鮮明になってくるとその眩しさに耐えられず、大衆はその光を封じ込めようとする。私が述べている光とはまさしく天才、非凡なものたちのことである。「平均以上の知性は狂気に近い。」この言葉が示すとおりに、天才、非凡なものたちは狂気に近いものを所有しているのである。しかし、天才と馬鹿は紙一重なのである。そして、判断力を持たぬ大衆はそこで天才と馬鹿の区別ができずに安易な方法を選ぶ。すなわち、それが偏見なのである。ああ、なんたることであろうか!偏見の基を作っている自分たちが偏見をなくそうとするなど本末転倒である。それが全く分かっていない愚かな政府は精神疾患を抱えた人々の偏見を払しょくしようと躍起になっている。いや、やむにやまれず、精神疾患を有した人々、その家族からの要請をのんで、体面を保つためにそのような行動に出ているにすぎないのである。したがって、政府はすぐさま精神科医を召集し、議論の場を設けるべきである。もともと、このちっぽけな島国の日本国民が馬鹿で愚かなことは確かなことであり、その中で優秀なものなどほんの一握りしかいないのであるから、即刻政府は有識者を選別できるほどの人材を確保し、有識者会議を開くべきである。だが、それでも偏見は払しょくされないであろう。この日本国民に根ざした愚かな国民性がそう訴えかけるのである。

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